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【駐在員が暴露】インドとパキスタンの停戦はフェイク!?裏で続く見えない戦争

現地からインドの現状をお届けします!

今回はですね、4月22日にインド・カシミール地方で発生した武装組織による観光客襲撃事件に端を発した印パ紛争の闇とその背後にある歴史について、私が住んでいるベンガルールの現在の街の様子とともに解説してみたいと思います。

インド・パキスタン「停戦」報道のウラ側

はい、まずは三輪オートに乗ってベンガルール市内のKRマーケットという場所に向かいます。みなさんご存知のとおりですね、2025年4月22日、インド・カシミール地方の観光地パハルガムで、武装組織による襲撃事件が発生しました。カシミールといえば織物のカシミアの語源となっている場所、そしてカシミール地方のパハルガムはインド国内のスイスとも言われるほどむちゃくちゃキレイな場所なんですけど、この場所でインド人観光客を中心に26名が殺害されて、17名が重軽傷を負うという悲惨な事件が起こってしまったわけですね。この事件を契機に、インド政府は襲撃事件の背後にはパキスタンの関与があると非難して、その報復として5月7日にパキスタンの実効支配地域を含むカシミールの武装拠点をミサイルで空爆しました。モディ首相は新たに「オペレーション・シンドゥール(Operation Sindoor)」という軍事作戦を実施して、テロ攻撃には決然と報復をする、核による脅しには屈しない、そして、テロリストとその支援者を区別せず同等に対処する、こういった立場を明確にしました。

こちらは、KRマーケットの脇にある1940年に建設されたベンガルール最大級のモスクJamia Masjidですね。今回この事件が世界中で注目された背景として、インドとパキスタンが両国ともに核保有国であるという事実があります。インドがパキスタンに対して報復をして、それに対する応酬、報復の連鎖によって一触即発の状況に陥っていたわけですけど、核戦争すら現実味を帯びていた中でアメリカの仲介によって5月10日に両国が停戦合意に至った、というニュースをご覧になった方は多いと思います。アメリカのトランプ大統領は自身のXで「長い夜を経て、アメリカが停戦に導いた」と誇らしげに投稿していましたよね。インド外務省は「パキスタンとの間で陸・海・空におけるすべての軍事行動を停止することで合意した」と発表して、パキスタンのシャリフ首相も、アメリカ国務長官ルビオと副大統領バンスへの謝意を表明しています。一見すると「良いニュース」なんですけど、インド・パキスタン両国の歴史を知ると話はそれほど単純ではないことがよくわかります。停戦に合意したというのは確かに事実だと思うんですけど、この意味合いとしては戦争を一時的に停止した、というイメージですよね。停戦発表からわずか数時間後にはカシミールでドローン爆発音が発生して「相手が停戦を破った」と非難し合う状態にもなっていましたけど、実際、ビザの発給や貿易の完全停止なども含めて印パ関係の断絶は今も変わらず続いていると言っても良いと思います。

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水をめぐって深まる対立

さて、ここからKRマーケットの中に入っていきます。相変わらず土日はすごい賑わいですね。1960年に国連と世界銀行の仲介のもとでインド・パキスタンの間で締結されたインダス水協定。これはですね、6つの川をインド側とパキスタン側に3つずつ割り当ててそれぞれに対する水の使用権を明確に定めた協定で、これまで60年以上ずっと守られてきました。インダス川と言えばヒマラヤ山脈から流れ出してインドを抜けてパキスタンを貫く川、全長3,000キロを超える・古代インダス文明が育まれた大河として有名ですよね。ただ、インドはこのインダス水協定の抜け道をつく形で、パキスタン側の川の上流、つまりカシミール地方にダムを建設しています。

2019年にモディ首相は「Water and blood cannot flow together(血と水はともに流れない)」と宣言していたことからもわかるように、その当時、テロ攻撃に対する報復として、パキスタンへの水供給の制限を示唆していた中で、今回の襲撃事件を契機に、インドは一方的に水の供給を停止したわけですね。これは、パキスタンの水資源の生命線を断ちかねない深刻な一手なので、パキスタン側は「戦争行為に等しい」と強く非難したわけです。

ちなみに少し余談になっちゃいますけど、ここバンガロールのカルナタカ州でも川をめぐる紛争を長年抱えています。コーベリ川をめぐるタミルナードゥ州との争いですね。コーベリ川はその上流に位置するカルナタカ州から、下流のタミルナードゥ州へ流れ込んでいて、上流のカルナータカ州内ではダムが建設されていて貴重な電力源になっている一方で、平野が広がる中流・下流のタミル・ナードゥ州内では農業の貴重な水源になっているわけですね。ただ、カルナタカ州は乾季の8月などにタミルナードゥ州に放流を止めたりしているので争いが起きるわけです。インド最高裁がカルナタカ州政府に対してただちに放流しなさいと、そういった判決を出してもカルナタカ州側の一部グループが暴徒化して市内のタミルナンバーの車両が燃やされたり暴動が起こる、といったことが過去に何度も発生しているので、バンガロールの水不足は常にこういった潜在的なリスクを抱えていることもあらためて認識しておくと良いと思います。

歴史の影 – 英国の「分割統治」から始まった悲劇

そもそもの印パ関係の緊張の根源には、イギリスによる植民地支配の「分割統治」という統治戦略が大きく影響しています。宗教的対立を煽ることによって、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間に分断を生み出したわけですね。1858年ごろまでのムガール帝国時代、タージ・マハールもこの時代に建てられたイスラム建築ですけど、この時代には少数派のイスラム教徒が支配権を握っていた一方で、それ以降インド独立までのイギリス統治時代は、多数派を味方につけようとしたイギリスが英語教育を受けた中産階級のヒンドゥー教徒を官僚や専門職として登用するようになって、イスラム教徒の不満が高まっていったわけです。この結果、宗教対立が激化して、「ヒンドゥー vs イスラム」の構図ができあがったと言われています。インド独立の父と言われるマハトマ・ガンディーは、ヒンドゥーとイスラムを含む全インドの融合・統一による独立という理念を掲げていたわけですけど、残念ながら実現できませんでした。

インドとパキスタンの間で最も深刻な火種が今回事件の舞台となっている「カシミール地方」です。1947年当時イギリス領インドから独立する際に、イギリスの間接統治下にあった550ぐらいあった藩王国は、インドに属するか、それともパキスタンに属するかをそれぞれの藩王が決めることになっていたんですけど、カシミール藩王国はヒンドゥー教徒のマハラジャが藩王として統治していたものの、その住民の約8割はイスラム教徒という複雑な状況で、どちらに帰属すべきか決めあぐねていたところに、パキスタン側の部族が侵攻してきます。それに危機感を持った藩王はインドへの帰属を正式に表明したことでカシミール地方にインド軍が向かうことになって、第一次印パ戦争が勃発するわけですね。それ以来、1965年に第二次印パ戦争、その6年後の1971年にふたたび第三次印パ戦争、とたびたび衝突が繰り返されて、ついに1972年に西側の2/5がパキスタンの支配地域、東側の3/5がインドの支配地域として管理ラインが設定されて、また、東側のインド支配地域はイスラム教徒住民への配慮としてインドが特別自治権を保障した形で統治されることになりました。

核の抑止力と泥沼の現実

次にベンガルール中心部のChurch Streetに移動していきます。市内の移動は三輪オートで風に吹かれながら移動するのがおすすめ。昔はオートドライバーといちいち交渉する面倒くささがありましたけど最近はUberやOlaなどの配車アプリで交渉いらず、決済もオンラインでできるようになって本当に便利になりましたよね。さて、Church Streetを歩いていきます。インドとパキスタンは両国ともに核兵器を保有しているわけですけど、インドは中国への対抗として核実験を実施し、パキスタンはインドへの対抗として核実験を実施してきたという経緯があります。そして、NPT(核不拡散条約)、つまり、「核兵器をこれ以上増やさず、減らしていこう」という世界の国々が約束した条約にインドもパキスタンも加盟していないという事実があります。

ここで最も恐ろしいのは、パキスタンの核戦略に対する方針です。
インドは「No First Use(NFU)」原則、つまり、核攻撃を受けた場合にのみその反撃として核を使用する、つまり抑止力としての核戦略を宣言している一方で、パキスタンは自国の安全が「脅かされた場合」に反撃や威嚇の必要性によって核を使用するといった方針を持っていることです。そして、インドの方が圧倒的に軍事力は高い一方でで、核弾頭保有数はインドもパキスタンもほぼ同じということもあって、パキスタンが追い詰められたときの核使用の可能性については決して楽観視できないという点がむちゃくちゃ怖いところです。

ちなみに、インド支配地域でイスラム教徒住民の多いジャンムー・カシミール州は、インド憲法の第370条によって特別な自治権が認められていたわけですけど、2019年8月になんとモディ政権はこの第370条を撤廃して、カシミール州を2つの「連邦直轄領」に分割して、中央政府の直接統治下に置いてしまったんですよね。また、モディ首相を筆頭とするインド国内のヒンドゥー至上主義の強まりや、イスラム教徒に対する差別的な扱いもあり、イスラム教徒の多くはインド国内における自分たちのアイデンティティや自治が奪われてしまったため、インド国内外から批判の声も出てきているわけです。

終わらないテロと「千の傷戦略」

ちなみに、パキスタンは「千の傷戦略」をとっていると言われています。つまり、インドを一発で倒すのではなく、小さな攻撃(=傷)をたくさん与えて、徐々に弱らせる、小さなテロ行為を積み重ねることで、インドに継続的ダメージを与える作戦をとっているわけですね。

事実、2008年にタージマハルホテルでのムンバイ同時多発テロが発生して165人が死亡して、2019年にはイスラム過激派組織の自爆テロが起こり警察官40人が死亡しました。そして、今回2025年4月22日にはカシミールで観光客を狙った襲撃事件が発生してインド人観光客が26人も死亡しています。

ベンガルール市内の目抜通りでメトロ沿線でもあるMG Road付近も見ていきましょう。アメリカの仲介によって一時的な停戦合意に至っているわけですけど、その背後でこの印パ対立はもはや宗教や領土問題にとどまらずに、米中の経済戦争、中国とパキスタンの結びつき、そして核兵器が絡む地政学的な覇権争いが複雑に絡み合ったグローバルな問題へと発展していて、「火種」は決して消えているわけではありません。ただ、インドは今、まさに経済発展のチャンスを迎えていると一方で、パキスタンは慢性的な経済危機に直面しているので、正直なところ両国ともに「戦争どころではない」というのが実際のところではないかと思います。バンガロールの街中は見ていただいたとおり変わらずいたって平和そのものなんですけど、だからといって長い歴史が醸成してしまったこの憎しみは決してすぐになくなるわけではないわけです。インド全土には約14%、つまり2億人近いのイスラム教徒がいて、バンガロールにもイスラム教徒が同じぐらいの割合いると言われています。インドに住む者として、このインドの光と影の両面を直視し、そして、インド・パキスタンは長年憎しみの連鎖を断ち切ることができず、そして、核兵器による抑止というむちゃくちゃ危険なバランスで成立している隣国関係であるという事実を常に忘れないようにしなければと、あらためて危機感を再認識させられる事件だったように思います。

さて、皆さん、いかがでしたでしょうか?今回は印パ紛争の闇と歴史について解説してみました。インドへの移住や事業展開を検討されている方にとってはとても重要な内容だと思いますので、ぜひ参考にしていただければと思います。

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