【インド人の知られざる生態】なぜ印僑は世界で成功するのか?その実態に迫る!
なぜ印僑は世界で成功するのか?その実態に迫る!
今回は世界で活躍するインド人、印僑の実態というテーマで解説してみたいと思います。
印僑というのは、海外に移住をしたインド人やその子孫のことを指すんですけど、一方で、インド国内でビジネスをしている日本企業が普段一緒に仕事をしているインド人のほとんどは、同じインド人とは言え、印僑とは全く似て非なる存在なんですよね。
今回の動画では、インド人という生態を正しく理解をするために、まずは日本のメディアでもよく報道されるインド人の典型例でもあり、かつ、インド人全体の中では例外的とも言える印僑、在外インド人いわゆるインド国籍を持つNRI(Non-Resident Indian)やインド国籍を持たないPIO(Persons of Indian Origin)の実態について3つのタイプに分けて解説してみたいと思います。
印僑は主に、北米・中東・東南アジア・アフリカ諸国を中心に世界に3,200万人もいると言われているんですけど、その中でも特に世界で活躍する印僑はこの3つに区分することができます。これ私が勝手にネーミングをつけてみたんですが、
(1)グローバルエリート印僑(Global Elite Indians)
(2)海外拠点型起業家(Global-Based Indian Entrepreneurs)
(3)現地二世型印僑(Native-born Indians)
この3つですね。それでは早速ひとつひとつ見ていきましょう!
グローバルエリート印僑
まず最初に紹介するのは、グローバルエリート印僑です。
インド国内で教育を受け、その後、欧米諸国に留学して、欧米企業に就職をしてキャリアを積んで、最終的に欧米企業のトップに昇りつめたエリート中のエリートですね。グローバルビジネスや学術界で大きな影響力を持っている印僑の典型例です。
このもっとも代表的なロールモデルと言えるのが、Googleの親会社AlphabetのCEOを務めるサンダー・ピチャイです。
サンダー・ピチャイ(本名:ピチャイ・サンダラジャン)は1972年に、インドのタミル・ナードゥ州マドゥライで生まれました。彼の父親は電気技師で、工場で電気部品の設計を担当していました。母親は速記者で、ピチャイは技術や学問を身近に感じる環境で育ちました。幼いころから彼は記憶力や数学に強かったようですけど、インド工科大学IITカラグプル校で金属工学を学んで、優秀な成績で卒業しました。そのあと、スタンフォード大学で材料科学と工学の修士号を取得して、ペンシルベニア大学ウォートン校でMBAを取得しています。その後アメリカへ移住したピチャイは、2004年にGoogleに入社して、Chromeブラウザの開発を主導するんですね。彼のリーダーシップのもとでGoogle Chromeは大成功を収めて、世界で最も使われるブラウザの1つとなったのはみなさんご存知のとおりだと思います。この成功によって、ピチャイは急速にGoogle社内での地位を確立して、Google DriveやGmailの強化など、他の重要なプロジェクトにも関与しました。2015年、Googleの共同創業者であるラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンからの信頼を受けて、ピチャイはついにGoogleのCEOに就任します。その後、2019年にはGoogleの親会社であるAlphabet Inc.のCEOも兼任することとなって、より広範な経営責任を負うことになりました。ピチャイのリーダーシップの下で、Googleは検索エンジンの進化にとどまらず、人工知能(AI)やクラウドコンピューティング、自動運転技術、量子コンピューティングなどの最先端技術においても革新を進めています。
グローバルエリート印僑は他にもMicrosoftのCEOであるサティア・ナデラ(Satya Nadella)やシャネルのCEOであるリーナ・ナイール(Leena Nair)もグローバルエリート印僑の典型的な人物です。
サティア・ナデラは1967年インド・ハイデラバード生まれ。インドで電気工学を学び、米国ウィスコンシン大学でコンピュータサイエンスの修士号、シカゴ大学でMBAを取得。1992年にMicrosoftに入社し、クラウド事業「Azure」の成功を主導。2014年、MicrosoftのCEOに就任し、「モバイルファースト、クラウドファースト」戦略を推進。オープンソースや多様性を重視し、Microsoftを再び業界の最前線に立たせたリーダーとして知られています。
リーナ・ナイールは1969年インド・マハラシュトラ州のコールハープル生まれ。インド工科大学で電子工学を学び、XLRIザビエルスクールオブマネージメント・ジャムシェドプル校でMBAを取得しました。1992年にユニリーバに入社して、2016年に同社初の女性・アジア人最高人事責任者(CHRO)に就任をして、ダイバーシティとインクルージョンの推進と、グローバルな人材戦略の強化に貢献しています。2021年、ついにシャネルのCEOに任命され、ラグジュアリーブランドに革新と多様性をもたらすリーダーシップを発揮しています。
海外拠点型起業家
次に紹介するのは、海外拠点型起業家です。
インド国内で生まれ育って、その後中東やアフリカを中心とした諸外国に移住して、新しい土地でビジネスを立ち上げて成功をした起業家・実業家です。インドと諸外国を結ぶ架け橋的な存在にもなっています。
このもっとも代表的なロールモデルと言えるのが、インド国内でも有名なモールに成長しつつあるLuluモールを創業したユスフ・アリ です。
ユスフ・アリ・M.Aは1955年、インドのケララ州ナッダカヴで生まれました。彼は商人家庭で育ったんですけど、幼少期から家業を手伝いながら商売人としてのセンスを磨きました。1970年代に彼はUAE(アラブ首長国連邦)に移住して、そこから小規模な貿易ビジネスを始めます。彼のビジネスは急成長し、その後「Luluグループ・インターナショナル」を創業することになります。
Luluグループは中東を中心にスーパーマーケットチェーンを展開していて、ユスフ・アリのリーダーシップの下で事業が急速に拡大します。現在では、アジア、ヨーロッパ、アフリカを含む20カ国以上に店舗を展開していて、インド国内ではもともとケララ州にしかなかったんですけど、2021年にバンガロールにもついにオープンして、UAEから逆輸入している形ですね、私がこれまでインド国内で行ったスーパーマーケットの中では、Luluグループが運営しているLulu Hyper Marketが規模も品揃えも値段も圧倒的に良いのでむちゃくちゃ重宝しています。あと、Luluグループは単なる小売チェーンだけじゃなくて、物流や食品加工、旅行、不動産など多岐にわたる事業も展開していて、40,000人以上の従業員を雇用するコングロマリットに成長しつつあります。
さらに、ユスフ・アリはビジネスマンとしての成功にとどまらず、教育や医療分野での慈善活動にも力を入れ始めています。彼はインドとUAEの両国で多くの学校や病院に対する寄付を行って、社会的弱者への支援を積極的に行っていますし、ケララ州を含むインド各地で災害時の救援活動にも貢献し、特に2018年のケララ州の大洪水の際には大規模な支援を提供しました。インドとUAEの経済関係強化にも寄与する代表的なビジネスリーダーの一人としてむちゃくちゃ有名な印僑の一人です。
海外拠点型起業家は、他にも中東最大級の医療グループをつくったB.R.シェッティ(B.R. Shetty)や、世界最大級の私立学校運営企業をつくったサニー・ヴァルケイ(Sunny Varkey)がいます。
B.R.シェッティは1942年インド・カルナータカ州生まれ。薬学を学んで、1960年代にUAEへ移住しました。1975年に設立した「NMC Healthcare」はUAE初のプライベート医療センターとしてスタートして、中東最大級の医療グループへと成長しています。1980年代には送金・為替サービス「UAE Exchange」を設立して、移民労働者の海外送金インフラを整えるという貢献もしています。医療、金融、製薬、不動産など幅広い事業で成功して、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる印僑のひとりです。
サニー・ヴァルケイは1957年インド・ケララ州生まれ。1980年にUAEで「GEMS Education」を設立して、その後世界最大の私立学校運営企業へと成長しました。GEMSは世界中で質の高い教育を幅広い社会層に提供していて、2014年に優れた教育者を称える「グローバル・ティーチャー・プライズ」も設立するなど、彼は教育改革の推進者としても知られている印僑の一人です。
現地二世型印僑
最後に紹介をするのは、現地二世型印僑です。
彼らはインド国外で生まれ育って、その国の文化や社会に溶け込みながらも、インド系のバックグラウンドを持つインド系移民です。彼らはインドのルーツを持ちながらも、現地の社会や文化と融合して、世界に影響を与える存在にまで成功をした人たちです。
このもっとも代表的なロールモデルと言えるのが、皆さんも記憶に新しいと思いますが、前イギリス首相でイギリスで初めて非白人かつインド系の首相とあったリシ・スナクです。
彼は、1980年にイギリスのサウサンプトンで生まれました。彼の両親は、インド系の移民で、祖父母がインドのパンジャブ地方出身であったため、彼のルーツはインドにあります。父親はジェネラル・プラクティショナー(いわゆる、家庭医ですね)、母親は薬局を経営する薬剤師さんで、スナクは医療系の安定した家庭で育ちました。彼は幼少期から学業で優秀な成績を収めて、名門私立校であるウィンチェスター・カレッジで教育を受けました。その後、オックスフォード大学で哲学・政治学・経済学(PPE)を学んで、最優等で卒業します。その後、スタンフォード大学でMBAを取得し、そこで後に妻となるインドのITサービス大手、インフォシスの創業者の娘さん、アクシャタ・ムルティと出会いました。彼はゴールドマン・サックスで投資銀行家として、さらに、ヘッジファンド会社でも経験を積んだあとに、2015年に保守党からリッチモンド選挙区の国会議員に選出されて、政治の道へ進みます。2020年にはイギリスの財務大臣に就任して、新型コロナウイルスによるパンデミックの際の経済危機に対する支援策をつぎつぎに打ち出していきました。
特に企業が従業員を解雇する代わりに一時休業させて、その給与の80%(最大月額2,500ポンド)を政府が補助する従業員給与補助制度「Furlough Scheme」や、指定された飲食店で外食した顧客に対して、政府が食事代の50%(最大10ポンド)を補助する外食産業支援策「Eat Out to Help Out」は高く評価されて、国民からも支持を集めました。
2022年には、保守党内のリーダーシップ選挙で勝利し、非白人かつインド系として初めてイギリスの首相に就任しました。彼の首相就任は、多様性の象徴として大きな意義を持ちましたし、特にイギリス国内外のインド系コミュニティにとっては歴史的な出来事として一躍有名になった印僑の一人です。
現地二世型印僑としては、他にもアメリカ史上最年少州知事となったボビー・ジンダル(Bobby Jindal)やコメディアン・脚本家・ハリウッド女優としても活躍をするミンディ・カリング(Mindy Kaling)などがいます。
ボビー・ジンダルは1971年、インド移民の家庭に生まれて、アメリカ史上最年少の知事の一人として2007年にルイジアナ州知事に就任しました。ブラウン大学とオックスフォード大学で学んで、24歳でルイジアナ州保健局長となるなど、公衆衛生政策で手腕を発揮します。特にハリケーン・カトリーナ後の復興や州経済の再建には大きく貢献をして、共和党内で影響力を持って、2016年には大統領候補にも名を挙げた印僑の一人です。
ミンディ・カリングは1979年、タミル・ナードゥ州出身のインド系家庭に生まれて、コメディアン、脚本家、女優として活躍しています。「The Office」というコメディ番組で脚本と出演を兼任して一躍アメリカで有名になって、さらに自ら主演・脚本・プロデュースを務めた「The Mindy Project」を通じてアメリカ国内におけるアジア系女性としての地位を確立して、ハリウッド業界の多様性推進にも大きく貢献をした印僑の一人です。
さて、みなさんいかがでしたでしょうか?本日は、世界で活躍するインド人、印僑について解説をしました。インドといえば、14億人の人口を抱えるインド国内の巨大市場として注目がされがちですが、インド国外で活躍する印僑の存在も忘れてはいけません。むしろ、こういった世界にフットプリントを持つ32,000人もの印僑との繋がりを生かした事業展開を考えることで、インドを起点とした米国市場への進出や、最後のフロンティアと言われるアフリカ市場への進出など、より広範囲におよぶ海外進出戦略において印僑と繋がる意義はとても大きいと言えるのではないでしょうか?