【インド起業のリアル】お金も生活も失って、それでも挑んだ理由
お金も生活も失って、それでも挑んだ理由
実はですね、このYoutubeチャンネルを始めてからもうすぐでちょうど1年が立つんですけど、今回が記念すべき50本目の動画になります。
そこで、この節目となる50本目の動画はこれまでとはちょっと違った何か新しい動画を配信してみようと思い立ちまして、今回は私自身のことについて少し話してみたいと思います。
私は2012年にインドに移住をして、2014年にインドで脱サラ・起業をしてからちょうど10年が経つんですけど、今回はこのインドに移住してからの12年間をざっと振り返って、インドに移住をしたきっかけ、インドで起業をした経緯などについて写真とともに赤裸々にお話できればと思います。これ誰得やねん、っていう動画になっちゃうかもしれませんが、インド進出を検討されている方の参考になるような話もできればと思ってますので、ぜひ最後までお付き合いいただければと思います。
インドで起業してからの10年間の業績
まずはじめに、インドで会計事務所を起業してから現在にいたるまでの事業の推移について簡単に説明しておくと、売上高や従業員人数、拠点数はこんな感じになっています。細々とまさに自転車操業、時間をかけてゆっくり成長してきた、という感じなのであまり誇れるものではないですけど、自分らしい地に足のついた経営スタイルと、クライアントや取引先、従業員含めて本当に「人」に恵まれてですね、多くの人に支えられたおかげでこれまで事業を続けてくることができました。
これは2024年12月に開催した創業10周年記念イベントのときの写真です。従業員の家族も全員招待をして、弊社本社があるチェンナイから南に30分ほどのところにあるビーチリゾートで総勢100人近くが集まってご家族も含めてみんなで一緒に10周年を祝うことができました。
ちなみに、これまで南インドで10年間経営をしてきた中で感じるひとつのインドの特徴として、インドでは職場の人間関係に「家族感」を期待する傾向があるんですけど、10周年記念イベントでも、従業員の家族同士が知り合い、仲良くなることで、従業員同士の家族感もかなり強まったような気がします。実際、従業員からも「家族同士が知り合ったことで自宅でも職場の話がしやすくなった」というコメントをもらったのはむちゃくちゃ嬉しかったですね。このあたり、インド人のマネジメントについてはこちらの動画で詳しく解説していますのでもしご興味ある方はぜひ見てみてください。
インドで起業するまでの経緯
さて、ここからは一気に10年以上前に遡って、2014年にインドで起業するまでの経緯について少しお話したいと思います。インドには2012年から住んでいるんですけど、それ以前、日本にいたころはアメリカのナスダック上場企業の日本法人の経理部門で仕事をしていて、その頃は兵庫県三宮駅前にある神戸国際会館というオフィスビルで仕事をしていたんですけど、上司が台湾にいる台湾人フィナンシャルコントローラー(いわゆる経理部長みたいなポジションですね)、あと、同僚のほとんどがインドのハイデラバードにいるインド人という環境で、毎日会ったこともないインド人とチャットやウェブ会議で仕事をする、という結構特殊な環境で仕事してました。
いわゆるこういったバックオフィスを一手に引き受けるシェアードサービスセンターSSCがインドにあってですね、世界中の経理業務をインドに集約するという体制になるので、各国の経理部門は大幅に人員削減されて、日本もあくまでインドのサポート役と日本の税務対応のみを行うという座組みで、私もまさにそんな体制の中でインドに対する窓口業務を担う役回りでした。
2009年に入社したのでもう15年以上前ですね、よく考えるとこの時からすでに「インド」が始まっていたわけなんですけど、30歳のときにどうしても海外で仕事がしてみたい、会社のブランドで仕事をするのではなく、自分自身をブランディングしていきたい、と思ってインド就職を目指して転職活動をすることにしたんですよね。
ただ、なかなか採用してくれる会社が見つからなくてですね、結果的にちょうどその当時経済産業省が始めたばかりの海外インターンシッププログラムの第一期生として、とりあえず2012年8月から約半年間、南インドのチェンナイに派遣されることになった、というのがインドへの移住のきっかけです。
結局インターンシップが終わった後も、インターンシップの受入機関先でそのまま現地採用として雇用してもらったんですけど、以前アメリカ企業で働いていたときの年収700万円ぐらいから、その当時インドに移住をして250万円ぐらい、つまり3分の1以下に激減していて、そのまま働き続けても大幅に収入を上げられる見込みもなかったのでこれはなんとかせな、ということで考えた選択肢が3つでした。
1つは現職で給与交渉をして、かつ、株主として中長期的に事業に関わりたい旨を打診してみる、2つ目は転職する、そして、3つ目は思い切って起業にチャレンジする、という3つです。どれかひとつを選ぶというよりは、全部やってみようということで、まずは試しに転職活動をしてみたんですけど意外にもすぐに大手会計事務所からオファーが出てですね、
そこで、その当時の会社の社長に自分の希望給与とインド法人の株式の50%を持たせてほしい、もし希望を受け入れていただけないなら辞めます、っていう提案をしたんですよね。今考えると結構むちゃくちゃな提案してるなーと思いますけど、その当時の自分なりに考えたアイデアだったわけです。それで案の定その提案は受け入れられずさてどうしようかなー、と考えているうちに、今起業しなければ、一生起業することはないのでは、と少しずつそう思うようになったんですね。
同業で他の会計事務所は2〜3年でころころと日本人担当者が変わってしまうような状況でしたし、実際に南インドに進出している日系企業を中長期的にサポートできるコンサルタントはほぼ不在、という状況でした。需要はあるのに供給がない、というビジネスが成立する上でむちゃくちゃシンプルな状況でした。で、私自身は、というと年収も生活レベルもすでに落ちるところまで落ちている、なんならもはや失うものはない状況で、万が一失敗しても雇ってくれる会社は1社ぐらいあるだろうと、起業する選択肢をとったわけですね。何かを得るためには何かを捨てなければならない、とはよく言いますが、先に年収や生活環境を捨てていたので、起業をするハードルはぜんぜん高くなかったと思います。ただ、ひとりで起業する勇気はなかったので、知り合いの会計士とともに2014年に弊社を共同創業した、というのが私の起業の経緯です。
起業した当初の試練と出会い
これが弊社の最初のオフィスです。オフィスっていっても僕が当時住んでたアパートなんですけどね、笑。
インドでは比較的珍しい1BHKという間取りで一人で住むにはちょうどよいサイズ。家賃はその当時20,000ルピー。アパートの屋上にあるペントハウスタイプのアパートだったので日中むちゃくちゃ暑くてですね、停電になると汗だくになりながら仕事してましたけど、屋上テラスでよくBBQをしたり、ひとりでヨガをしたり、あとチェンナイは近くに漁港があるので週末朝5時ぐらいに起きてフィッシュマーケットでマグロを買って、Youtubeでまぐろの捌き方を見ながらよく捌いてました、笑。これはむちゃくちゃ美味かったですねー。
この当時は毎日オート通勤でしたね。そして、UberやOlaのような配車サービスはもちろんなかったので、企業訪問するときは毎回Fast Trackというコールタクシーを電話で予約するわけです、要は電話で住所とランドマークを伝えるんですけど、当然に予約した時間になってもタクシーは現れないので何度も何度も電話でドライバーとやり取りをして、30分・1時間遅れてようやくピックアップの場所まで来てもらう、という地獄のようなサービスを使うしかなくて、これは大変でした。30分で行ける場所なのに遅刻しないように2時間ぐらい前からタクシーのアレンジに時間が取られるイメージです。このときに、インド人と毎日交渉をしたり、毎日英語でインド人と喧嘩をするといった、インド社会で生き抜くための基礎を学んだ気がします(笑)。
そして、路上で売っているこのナマあたたかいココナッツジュースが美味くてよく飲んでましたが、その当時15ルピーぐらいで飲めたはずなんですが今は40ルピー近くするのでほんと高くなりました。物価水準の目安のひとつとも言えるココナッツ指数、むちゃくちゃ上がってます。
創業してから半年ぐらい経ったころに、初めてインド人の従業員を採用したんですけど、創業当初はインド人の知り合いの会計事務所にすべて外注する形で対応していたので従業員はしばらくいなかったんですね、で、従業員を採用するってことは初めて固定費を抱えることになるということでむちゃくちゃビビっていたことを今でもよく覚えています。1人目の採用ということで、その知り合いのインド人に相談をしたところ、彼の元部下でいいやつがいる、ということでラビさんを紹介してくれました。
まだ、オフィスもなかったので、さっきお見せした私のアパートのリビングで彼と初めて面接をしたんですけど、彼は入社を決めてくれました。奥様と息子さんがいてご家族がいるのに、まだオフィスも従業員もいない会社に転職をするのはむちゃくちゃ勇気のいる決断だったと思います。ラビさんが入社した後、2015年に新しくオフィスを構えることにしました。
ここが現在の弊社チェンナイ本社の1階部分です。
10人以上は入れるスペースがあって、会議室もある、立地も最高、ということで、まだ従業員1人しかいなかったわけですけど、この時もかなりビビりながら契約に踏み切ったんですけど、なかなか思い切った決断だったなーと思います。彼と初めてバンガロールに出張に行ったときは、彼にとって初めての飛行機だったようでむちゃくちゃ喜んでくれました。
2015年の大洪水で大変だったときも、彼は仕事だけじゃなく、浸水したオフィスの掃除や、私のアパートまで迎えに来てくれたり、本当に助けてもらいました。そんな彼はつい先日10年勤続表彰を迎えたところで、今でも弊社の経理マネージャーとして活躍してくれています。
事業が軌道に乗るきっかけ
起業をして3年目まではずっと従業員1人でやってきたんですけど、事業が軌道に乗るきっかけになったのが、某上場企業のインド進出をご支援させていただいたことです。もともとインドに移住をした当初からINDIA GO!という個人ブログでインドに関する情報発信をしていたんですけど、このブログに問い合わせをしてきてくださったことをきっかけにこの企業様の日本人駐在員の方と一緒にお仕事させていただくことになり、事業は大きく成長しました。
これを機に2017年にはようやく2人目の従業員を採用することになります。ポジションとしてはマネージャークラス、それなりに採用のハードルも高かったわけですけど、この時はあえて知り合いには頼らず、とりあえず自分でゼロから探してみようと、数百人のレジュメから30人ぐらいに絞り込んで自分でインド人を面接しまくってようやく見つけた1人がナレッシュさんでした。彼もご家族がいるにもかかわらずよく勇気を出して転職してくれたと思います。彼も先日で8年勤続表彰を迎えたところで、今ではジェネラルマネージャー、私の右腕としてインド全土の会計・税務チームを統括してくれています。
ナレッシュさんが入社した頃から、なんとかやっていけるかも、という前向きな気持ちが芽生えて、会社として少し背伸びをしたり、積極的にリスクを取るタイミングが定期的にあったと思います。2018年に初めて日本人を2名同時に採用したり、2019年にバンガロール事務所を立ち上げたり、2021年にはコロナ禍で在宅勤務が続く中であえて人事部門を立ち上げて、チェンナイ本社のオフィスフロアの拡張と改装をしました。2024年にはバンガロール事務所の拡張工事にも踏み切りました。
そういう意味では、重要な局面で、会うべき人に出会えたことが何よりもいちばん大きかったなーと思っています。
想定していなかった人との出会いが、結果的に事業の成長に大きな影響を及ぼしているからですね。ラビさんやナレッシュさんとの出会いももちろんそうですが、初めて日本人を採用しようとしたときも、初めて人事部門を立ち上げようとしたときも、もともと1名しか採用する予定じゃなかったんですけど、たまたま他にも良い方が見つかったのでそれぞれ2名同時に採用をしたことが事業の成長を大きく後押ししたんですよね。バンガロールで出会った監査法人の代表パートナーのおかげでバンガロール事務所で良い人材を紹介してもらえるルートを作ることができました。あと、もともとデリーで人を採用する予定はなかったんですけど、偶然デリー在住の良い方と出会えたことも、デリー事務所を開設するきっかけになっているので、本当にビジネスというのは人との出会い、ご縁によって成立しているものなんだなーとあらためてそう思います。
なので、人材採用というのは何よりも重要で、採用活動に対しては時間を惜しまずに時間もコストも投入すべき、と考えているんですけど、ただ、私も人材採用ではむちゃくちゃ失敗してまして、時間をかけてやっと採用できた人材が、一緒に仕事をしてみたらぜんぜんダメだったということもこれまでたくさんあったので、どれだけ採用プロセスに時間・コストをかけたところでやっぱり書類や面接だけでは分からないというか、一緒に働いてみないとわからないという側面は多分にあるので、まずは採用してみて試用期間中に徹底的に見極める、というスタイルがいいのかなーと思っています。
10年間大切にしてきたこと
ちなみに、起業してからの10年間で大切にしてきたのが、インドのありのままをポジティブに情報発信する、ということです。っていうのも、インドに移住をしたときにインドの生活やビジネスに関する日本語の情報がほとんどなかったんですよね。あっても、インドのネガティブな情報や、日々のストレスを書き殴る日記的なブログばかりで、この情報格差や偏見をなくしたいと思って、なるべくニュートラルなインドを情報発信することを心がけてきました。
コロナのときはむちゃくちゃ厳しいロックダウンが続きましたけど、これはチャンスとばかりにその当時一緒に仕事をしていた日本人メンバー4人で在宅勤務のスキマ時間を活用して大量の記事を一気に執筆したり、毎月ウェビナーを開催した時期もありました。そして、今このYoutubeチャンネルを通じてよりインドビジネスにフォーカスをした情報発信をしています。
っていうのも、この情報発信をすること、オウンドメディアを持つことが強力な営業活動につながり、かつ、何より自分自身の成長につながるということに遅ればせながら途中で気づいたからです。社長は営業力こそが命、と言われたりしますけど、私はとにかく営業が苦手だったんですよね。企業にアポをとって訪問をしてサービスを売り込むといういわゆる典型的な営業活動に対して苦手意識と違和感さえ感じていました。営業のプロに言わせればそんなもの甘ちゃんだと怒られそうですけど、企業を訪問するというのは相手に何らかの明確なメリットがない限り相手の時間を一方的に奪ってしまう可能性があるので嫌だったんですよね。イメージとしては医者はどうやって患者を集めるのか、という点をいつも意識していました。医者の場合、医療法上の広告規制という背景もありますけど、原則、医者が患者にアポを取って医療サービスを売り込むっていうことはないですよね。自分が患者の立場だったら、仕事をくださいと連絡をしてくる医者は当然信用できませんし、そもそも自分が病気じゃなければ医者に用はないですよね。つまり、自分が困っていないのに訪問されても困るわけです。なので、困ったときに相談したいと思ってもらえるような存在になる、というスタンスで情報発信をしてきました。
そのために意識したことは、1つは自分自身が困った時に思い出してもらえる存在になること、つまり、認知度向上ですね、そして、2つ目はサービスの品質を高めることによる口コミ効果、そして、3つ目はサービスの品質を高めるために弊社メンバーが成長できること、つまり、記事執筆やウェビナー開催、Youtubeによる情報発信を通じて自動的に自己学習できる仕組みにすること、この3つを意識して情報発信をしてきたわけです。
私自身、記事の執筆、ウェビナー開催、Youtubeの運用をやってきて思うんですけど、やっぱり情報発信をするにはむちゃくちゃ調べますし、それを整理して言語化していく作業そのものがとにかく自分自身の勉強になるわけですね。まだまだ道半ばでどれも中途半端な状態なので、ここをどれだけ徹底していくことができるか、仕組み化していけるかがこれからの10年でやるべきことかなーと思っています。
さて、皆さん、いかがでしたでしょうか?今回は私がインドに移住したきっかけや、起業をした経緯について赤裸々にお話してみました。インドへの移住や事業展開を検討されている方にとって参考になれば嬉しく思います。