Vol.0110 テクノロジーでインドメンタルヘルスの問題解決を目指すLonePack
インド最大のスタートアップメディアであるYourStory社の2021年7月6日付けの報道で、メンタルヘルスプラットフォーム『LonePack』を取り上げています。
インドのメンタルヘルス問題に立ち向かうLonePack
『LonePack』は2015年にSSN College of Engineering校のコンピュータサイエンス学科を卒業したSamiya Nasim氏、Naveen H氏、Siddharth Sudhakaran氏の3人によって立ち上げられました。3人は2016年7月にFacebookページを立ち上げ、同年末には非営利団体として登録しています。現在では約30人のボランティアチームに成長し、信頼できる情報やサポートへのアクセスを10万人以上の人々に提供しながら、インドの若者たちの間でメンタルヘルス問題についての意識を高めています。
メンタルヘルスとは関係のない学歴を歩んできたエンジニアの彼らが、なぜこのようなプラットフォームを立ち上げるに至ったのでしょうか?その答えとして、Nasim氏は「自分自身が10代の頃から精神的な問題やうつ病に悩まされてきた」こと、そして「この経験から、メンタルヘルスの問題がインドには広く存在し、孤立して苦しんでいる人が非常に多い」ことを説明しています。
実際に、インドではメンタルヘルスの専門家不足が深刻で、インド人10万人に対して精神科医は1人にも満たないという統計があります。Nasim氏は、このような背景にも気づき、コミュニティ主導の取り組みとテクノロジーが、このギャップを平準化するために大きな役割を果たすと信じていたと述べています。
創業者3人のこれまでの苦難
LonePack設立当初、彼らは大学を卒業したばかりで、メンタルヘルスに関する経験も学歴もなく、誰にも相手にされなかったようです。しかし、諦めることなく働きかけることで、少しづつ協力してもらえるようになった、と説明しています。
ただ、現実はそう甘くはなく、協力に応じてくれた団体も長続きしないだろうと考えていたところがほとんどで、真剣に応援してくれる団体はゼロに等しかったと言います。
そんな中、MINDS Foundation(※1)という組織が、3人のビジョンを信じてくれました。「Raghu博士とPragya Lodha 氏は、私たちのボランティア活動のトレーニングと評価モジュールの設計に協力してくれた。私たちが開発したコースでは、メンタルヘルスの基礎を学び、共感力を高めることができる。」とNasim氏は語っています。
3人は過去5年以上活動してきた中で、メンタルヘルスに関する認知度向上とコミュニティの活性化を目的とした取り組みの一環として、学校、大学、企業を相手にワークショップ、ウェビナー、ディスカッションフォーラムを数多く開催しました。Nasim氏によると、直近1年半の間にインド20以上の都市で60,000人以上の人々を対象に実施されたようです。
パンデミックが与えたメンタルヘルスに対する認識の変化
コロナウイルスが流行し、それによってインドの若者のメンタルヘルスに大きな影響を与えることは誰もが予想していませんでした。パンデミックによって多くの若者が、それまで何気なく利用していたストレス対処法や、心の支えとなっていたコミュニティから切り離されてしまいました。そして、家庭環境が上手くいっていない若者も家族のもとで暮らさざるを得ない状況が訪れたのです。
このような背景から、LonePackには心理的サポートを求めて多くの人々がリーチしてきました。そして問題の大きさを認識したLonePackチームは、精神的に深刻な影響を受けている人々を支援するために以下の新たな2つの取り組みを始めました。1) メンタルヘルス専門家をリストアップするプラットフォームの作成、2) 誰でも匿名で相談相手になることのできるサービス:「LonePack Buddy」、のふたつです。
匿名のオンラインピアサポートLonePack Buddyとは
LonePack BuddyはWebサイトやAndroidアプリからアクセスすることができ、聞き手として訓練を受けた匿名のボランティアと無料で会話することのできるサービスです。メンタルヘルスに影響を与える問題について安心して話すことのできるスペースの提供を目的とした同サービスは最初の2日間で約100ダウンロードを記録したようです。今年5月にローンチされたこのサービスは7月6日時点で、1,700件以上の会話が成立し、93,000件以上のメッセージが交換されているようです。会話の内容は、自分の感情を語るものから、カウンセラーや精神科医などの専門家への相談、自己権利の認識など、多岐にわたっています。
LonePack Buddyが、UNDPとNiti Aayogが主導するYouth Co:labのインキュベーション対象に選ばれたことで、Nasim氏ら3人は努力が報われた、と述べています。インキュベーションプログラムの一環として、LonePackチームはジェンダーに起因する暴力の緩和、LGBTQ+の生活を促進するために、同サービス改善と促進に取り組んでいます。
LonePackは、ほとんどが自己資金で運営されていますが、これまでに参加したいくつかのキャンペーンを通してSwedish InstituteやUber Eatsから助成金を受けています。『私たちは、LonePack Buddyにアクセスする一般の人々に請求するつもりはない。企業や学校、大学などの機関に対しては、カスタマイズされたソリューションを手頃な価格で提供するつもりだ。』とNasim氏は述べています。
LonePackの今後の展開
Nasim氏は8月よりWhartonでMBAを取得する予定で、Naveen H氏は現在IIM-BでMBAを専攻中、Sudhakaran氏はRazorpayでアシスタント・アナリティクス・マネージャーを務めています。このようにパラレルワークをしながら、LonePackチームは現在、技術的なプラットフォームの強化に注力しています。さらに、ストレス解消のためのアクティビティを取り入れる方法も模索しているようです。Nasim氏は『ジェンダー、セクシュアリティ、カーストなどの社会的要因のレンズを通してメンタルヘルスを見るモジュールを提供したいと考えている。人々が応急処置の訓練を受けるのと同じように、我々は、人々が感情的な応急処置を行えるような社会の実現を目指している。』と述べています。
共同創業者3人ともが学生として勉強をしながら、あるいは他の仕事を掛け持ちしつつパラレルワークという形でLonePackを経営している、かつ事業も着実に成長しているという点が興味深かったです。事業拡大のスピード感は他のスタートアップに比べると劣るかもしれませんが、それでもユーザー数が伸びているということはそれだけメンタルヘルスケアの需要がある、あるいはコロナ禍でメンタルヘルスの重要性が高まってきたのだと思います。
日本も同じようにここ数年でメンタルヘルス、ヘルステック業界が伸びてきているように思います。私自身、話を聴く側で利用しているYeLL(※2)というサービスが、本記事で取り上げたLonePack Buddyのビジネスモデルと類似しており、親近感を覚えました。
「メンタルヘルスケアを必要としているインド人が現在のシステムでは十分なサービスを受けることができない」という課題に対し、コンピュータサイエンス学科を卒業した3人だからこそ「テクノロジーを組み合わせることでスケーラビリティの問題を解決することができる」ということを確信し、どんな逆境でも走りぬくことができているのだと思います。
※1 MINDS Foundation:https://www.mindsfoundation.org/
※2 YeLL:https://www.yell4u.jp/