Indian Market "Insight"

インド市場の”今”を知る

Vol.001 : IT大国インドのエンジニア人材争奪戦の舞台裏

 

1. 日本における人材不足と海外からの人材獲得動向

日本では出生率低下に伴う高齢化社会、世界でも稀にみる人口減少により人材不足に直面しています。経済産業省が2016年にまとめた資料によると、IT部門では、既に約 17 万人もの人材が不足していると言われており、特にIoTやAI、ブロックチェーン等の先端IT技術の需要拡大に対し、高度なIT人材の供給が追い付いていない現状はみなさんもすでにご承知のことと思います。このような背景から海外のIT人材を雇用する動きは増えていますが、中国、韓国、アメリカ、ベトナム等の国籍が大多数を占め、特に東南アジア諸国では日本は就労先としての人気が高く、特にベトナム人材の日本における就労者数の増加率は他国と比較して顕著です。

 

2. 海外志向のインド人ITエンジニアが目指すキャリア

2018年2月に出版された武鑓行雄氏著『インド・シフト』では“インドのシリコンバレー”と呼ばれるバンガロールを中心とする豊富な高度IT人材や世界のトップグローバル企業の海外戦略が紹介されました。つまり、世界の主要企業のほとんどがインド国内に社内向け開発拠点であるGIC(Global In-House Center)を設置しているものの日本企業の海外戦略については概してまだそのレベルにありません。メルカリ社が新卒インド人材を30人以上雇用したというニュースには注目が集まりましたが、インド人にとって日本での就労環境(社内の意識改革、英語力やコミュニケーション能力の向上など)の点においてまだ日本企業がインド人材を積極的に活用できるだけの準備が整っているとは言えません。ちなみに、インド工科大学(IITs :Indian Institute of Technology)はIITに合格できなかったインド人がアメリカのMITやハーバードに行く、などと評されることもあり、極めて優秀な人材が揃います。また、毎年1万人以上が入学するトップ工科大学が全国に23校あり、優秀なエンジニアが毎年大量に輩出される世界でも稀にみるエンジニア大国となっており、グーグルやアマゾンをはじめとする巨大IT企業も新卒で年収一千万円を優に超える金額を提示して毎年超トップ級のインドIT人材争奪戦を繰り広げることは有名です。

製造業を中心とする“メカ系”のインド人エンジニアは日本への関心が比較的高いものの、インドの高度IT人材については概して欧米、特にシリコンバレーに強い憧れを持っており日本での就労を希望するケースは稀です。日本はIT分野の技術力やマーケットの参入障壁、就労後のキャリアプラン等の点においてアメリカのような魅力が不足していると言われています。言わずもがな一番の理由は言語の壁です。インドでの高等教育は全て英語で行われており、いわゆるエリート層の英語力はネイティブに劣りません。驚くことに英語が第一言語であるインド人も決して少なくないため、英語がほぼ通じないと言ってもよい日本国内で、インド人が生活をし、仕事のキャリア展望を持つことは極めてハードルが高いことは想像に難くありません。また、日本で就労するうえで日本独特の企業文化(飲み会や厳しい規律、規定を前提とする柔軟性の欠如)や終身雇用を前提とした不明瞭なキャリアパスは、インド人だけでなく外国人にとって理解しがたい事も一般的な障壁としてよく挙げられています。

3. 日本で働くインド人ITエンジニアの声

2018年10月IITハイデラバード校でのJETRO、経済産業省も主催に名を連ねた日系企業の合同就職説明会や、IIT在校生に的を絞った日系企業へのインターンシップサービス(ウェブスタッフ社による日本語教育プログラム“PIITs”)、ここ数年で日系企業へインド人ハイスキル人材を紹介するサービス等が目立ち始め、少しずつではあるが日本でもようやくインド人材への注目が集まりつつあります。インド人にとっては、一部の日本文化やサブカルチャーのファンを除けば、より高い給与を得るためのツールとして日本語を学んでいるインド人がほとんどで、インド人材が就労先として日本を選ぶ理由については、残念ながら概してまだ高水準な給与“のみ”が背景にあるケースが多いように感じられます。このような現状をマクロな視点で考慮すると、日系企業にとってはIITのような超トップ級工科大学ではなく、中堅クラスの卒業生をターゲットにする方が日系企業との相性が良いように思われます。地方の中堅クラス出身のインド人材であれば、英語もあまり流暢ではなく国際経験も乏しいからこそ日本語や日本の商習慣を習得することにあまり抵抗がないこと、そして、日本に行くことで自分が希望する給与水準を獲得できるなど、お互いにWin-Winの関係になりやすいと考えます。上記の理由からインドでは中堅クラスの卒業生を大量採用して日本語や日本の商習慣について社内研修を実施し、日本からのオフショア開発や日本へのIT技術者派遣を専門に請け負っている企業も存在します。

 

4. 日本で働きたいインド人エンジニアをいかにして増やすか

ここで、非英語圏であるドイツとフランスの取り組みについて紹介したいと思います。日本にも拠点を持つ非営利団体「ゲーテインスティテュート(ドイツ)」、「アリアンスフランセーズ(フランス)」は、ドイツ語やフランス語を教える語学学校としてだけでなく、ハイソなカルチャーセンターとしてもインド国内で認識されています。例えば、ゲーテインスティテュートはインド全土に6か所あり、毎週のように、子供向けアートイベント、映画祭、アート展、ジェンダースタディーに関するディスカッション等のイベントが英語で行われています。これらの非営利団体が積極的に留学生の斡旋をしているわけではありませんが、ドイツに留学するインド人学生の人数は2017年のデータで約17,000人(大学以上)に対して、日本では約1,000人(高等専門学校以上)となっており、上述のような取り組みがインド人に対するその国の具体的なイメージや知名度の向上に一役を買っていると思われます。あるインド人エンジニアの話によると、インドの工科系大学生は日本のアニメやゲームカルチャーなどのサブカルチャーとの親和性は比較的高く、オタク文化のファンも多いようです。工科大学には高速LANが整備されているケースが多いため、誰かがインターネットで拾ってきた英語字幕付きの海賊版アニメ動画をファイル共有ソフト等を使ってダウンロードして収集するのが定番となっている、というエピソードを聞いたことがあります。2018年末には、「ANIME INDIA」(https://animeindia.in/current-state-of-anime-in-india/)という日本のアニメ情報を英語で紹介するサイトがインドでオープンしましたが、主催のArjun Arya氏も工学科卒のアニメファンだそうで、「インドで知名度の低いアニメ文化について教育(!)するため」に始めたと同氏のブログ記事に書いており、近年の日本語学習者の中でもアニメファンの割合は急増しているようです。また、新海誠監督の最新作『天気の子』は、2019年4月ごろオンライン上でインドでの公開を求める署名活動が起こり、約5万人のファンが賛同し署名をしたことから、その声が新海誠監督や東宝の海外配給担当、インドの配給会社の耳に届き実現することになり、ついに2019年10月11日からインド国内で公開されることになっています。徐々に富裕層が増加しているインドにおいて、日本を代表する文化であるアニメが、今後のインド人留学生やエンジニアにとって日本に関心を持つきっかけとしてのコンテンツになるのは間違いないのではないかと感じます。日本の就労環境や生活環境の改善、企業の意識改革、そして、オタク文化やサブカルチャーを通じた日印交流の促進等、やるべきことは多くその実現は決して簡単ではありませんが、私たちの未来はそう暗くはないと信じています。日本とインドが相思相愛の関係になることを祈って。

               

執筆者紹介About the writter

安本 理恵 | Rie Yasumoto
2014年より北インドグルガオン拠点の現地日系企業で法務や総務、購買等を中心とした管理業務を経験後、インドの法務および労務分野の専門性を深めるべく2018年に当社に参画し、南インドチェンナイへ移住。現在は会社法を中心とした企業法務や、労働法に基づく人事労務関連アドバイス、インドの市場調査業務を担当。2023年3月に退職。