Vol.003 : 激動のインドヘルスケア市場(①遠隔医療編)
新型コロナウイルスの逆境をチャンスに変える注目のスタートアップ8社!
1.インド全土に拡大し続ける新型コロナウイルス
インドの新型コロナウイルス(以下“コロナ”と言う)による打撃は非常に深刻です。7月上旬には感染者数世界3位になり、8月に入ってから1日当たり5万人超の感染者が増えている状況となっています。8月10日現在、総感染者数は221万7,649人、死者数は4万4,499人、入院中・治療中患者数は63万6427人に及びます。[i]
3月頃はムンバイやデリーなど大都市圏での感染がメインだったものの、今やインド全土にコロナの感染が広がっています。3月末から始まったロックダウンにより、職を失った都市圏の労働者たちが農村部に移動したことも感染拡大の一因でしょう。5月末からのロックダウン緩和後、感染者が急増したカルナータカ州では7月中旬に再度ロックダウンが実施されるほど、感染拡大への不安が高まっています。[ii]
そして、インドが長年悩まされている課題の1つが深刻な医師不足です。特に公的医療機関の整備の遅れが目立ち、大きな民間病院がほとんどない農村部では政府形病院の医師1人に対して患者数が約25,000名以上に及ぶ州さえあります。[iii]医療設備の乏しい農村部での感染が今後さらに増加すると、十分に診断さえ受けられない患者が溢れることが懸念されています。
2.遠隔医療サービスの利用者が急増
コロナが猛威をふるう厳しい情勢の中、急速に成長しているのが遠隔医療市場です。遠隔医療を扱うスタートアップ企業Practo(プラクト)によると、オンライン診断数は2020年3月中に500%増加し、そのうち80%が新規利用者だったとのことです。一方で病院への訪問数は67%低下し、コロナの影響が窺い知れます。利用者の半数が21歳〜30歳で、耳や喉の炎症、鼻詰まりや副鼻腔の異常が特によく相談されています。[iv]インド人若年層をはじめとし、「軽度な症状なら病院に行く必要がない」という認識が確実に浸透し始めていると言えるでしょう。
遠隔医療は患者が通院によるコロナ感染のリスクを避けることができるだけでなく、医師不足改善にも役立つことが期待されています。オンライン診断なら場所にかかわらず手の空いている医師をアサインでき、また診断時間が平均8分程度と短く、1人の医師がより多くの診断をこなすことが可能だからです。今回は今後ますますの成長が予想される遠隔医療を扱うスタートアップ6社と、そのサービス内容をご紹介します。
3.遠隔医療を扱うスタートアップ8社
(1)米国検証機関の認可を得て存在感を示す「1mg」
サービス名:1mg(ワンエムジー)
会社名 :1mg Technologies Private Limited
設立年 :2015年
拠点 :ニューデリー
CEO :Prashant Tandon
公式HP :https://www.1mg.com/
遠隔医療市場で存在感を発揮している「1mg 」は米レジットスクリプト社(オンライン薬局の監視・検証機関)からの認証も受けており、「遠隔医療の安心と信頼」を掲げています。需要の高い内科や耳鼻科、婦人科に加え、ホメオパシーやアーユルヴェーダなどインドならではの診療科も備えており、チャット形式でのオンライン診断と電話相談が可能です。オンライン薬局部門ではMedlifeとPharmaeasyに続き、Nedmedと肩を並べ業界を牽引しています。[v]
(2)インド中に低価格の遠隔医療を提供する創業10年の老舗「Practo」
サービス名:Practo(プラクト)
会社名 :Practo Technologies Private Limited
設立年 :2008年
拠点 :ベンガルール
CEO :Shashank ND
公式HP :https://www.practo.com/
遠隔医療にいち早く目をつけ、市場を開拓してきたのがPracto Technologiesです。インド国内外で幅広くサービスを展開する「Practo」の年間のオンライン診療数は、約5,000万件を超えています。Practoではビデオ診断やチャットによるオンライン診療を受けることができ、クリニック訪問の予約も可能です。
また、Practo Technologieはコロナ禍の影響を受け、非商業プロジェクト「Swasth(スワスト:ヒンディー語で「健康」の意)」をITコンサル会社Infosysの創業者とともに立ち上げました。[vi] 現段階ではSwasthはコロナのオンライン診断にフォーカスし、農村部の人や低所得層でも利用できるよう低価格での遠隔医療サービス提供に貢献しています。
(3)インド国内ISO認証を受け24時間診療の「DocsApp」
サービス名:DocsApp(ドックスアップ)
会社名 :Phasorz Technology Private Limited
設立年 :2015年
拠点 :ベンガルール
CEO :Satish Kannan
公式HP :https://www.docsapp.in/health/
AIを積極的に活用したチャットボットによる問診に加え、ビデオコールやチャット、電話などで24時間オンライン診察を受けることができ、インド国内ISOの認証を受けています。2016年に日系VCのRebright Partnersから、2017年にはTechmatrixやDeNAからシリーズAラウンドにおいて資金調達をしており、日本との繋がりを強めています。
(4)高品質な検査をリーズナブルに提供する「Healthians」
サービス名:Healthians(ヘルシアン)
会社名 :Expedient Healthcare Marketing Pvt. Ltd
設立年 :2015年
拠点 :グルガオン
CEO :Deepak Sahni
公式HP :http://www.healthians.com/home
検査施設不足や価格が高いことを背景に、日本とは違って定期検診を受ける人がほとんどいないと言われるインドですが、当該スタートアップは検査専門員の出張により在宅でさまざまな検査が実施できる健康診断マーケットプレース「Healthians」を運営しています。多くの検査施設と連携をすることでクオリティの高い検査を在宅にいながら安価で提供できるシームレスなプラットフォームの提供を実現しています。2016年にはシリーズAラウンドにおいてBEENOSやデジタルガレージからも資金調達をしています。
(5)24時間体制で糖尿病にフォーカスする「BeatO」
サービス名:BeatO(ビートー)
会社名 :Health Arx Technologies Private Limited
設立年 :2015年
拠点 :ニューデリー
CEO :Gautam Chopra
公式HP :https://www.beatoapp.com/
Health Arx Technologies による「BeatO」の特徴は、糖尿病に絞って遠隔医療を提供している点だと言えます。インドは2020年3月時点で成人人口の8.9%にあたる約7,700万人が糖尿病に罹患している、まさに糖尿病大国です。[vii]そして糖尿病がコロナの症状悪化の要因になることからも、さらなる注目がBeatOに集まっています。同サービスは24時間のオンライン診断や糖尿病の薬やサプリメントを販売するオンライン薬局、食事プランやアーユルヴェーダの治療プランを提供しています。また、アプリ内で販売中のスマートフォン取り付け型のガジェットによって、日々の血糖値の測定と記録を可能としています。
(6)フィットネスチェーン最大手による「Cure.fit」
サービス名:Cure.fit(キュアフィット)
会社名 :Diverse Retails Private Limited
設立年 :2016年
拠点 :バンガロール
CEO :Mukesh Bansal
公式HP :https://www.cure.fit/
スタートアップDiverse Retailsが運営するのはインド最大ヘルスケア・フィットネスチェーン「Cure.fit」です。メイン事業としてインド全土でフィットネスジムを展開していたものの、コロナ禍の影響によりジム封鎖を余儀なくされました。現在はフィットネス動画の配信やフードデリバリー、遠隔医療などに注力しています。Cure.fitの中で医療分野を扱う「Care.fit(ケアフィット)」ブランドでは内科のオンライン診断を提供しています。しかし、現段階では処方箋の交付にとどまっており、薬局機能は設けていません。Cure.fitではセラピストへ精神状態の相談や、栄養士への減量食事プランの相談も可能です。コロナによる自粛生活中の精神面・健康面へのネガティブな影響に対しても幅広くカバーしており、着実にユーザー数を増やしています。
(7)Omron社と提携し持病との付き合い方を提示するPhable
サービス名:Phable(フェイブル)
会社名 :Terrals Technologies Private Limited
設立年 :2018年
拠点 :バンガロール
CEO :Sumit Sinha
公式HP :https://www.phablecare.com/
Terrals Technologiesによる「Phable」は持病のある人向けのヘルスケアプラットフォームで、遠隔医療を用いた健康状態の管理を目的としています。Phableの主な機能は以下の通りです。
・投薬時間や運動などのアクティビティのリマインド機能
・体温や体重、心拍数や血糖値などの記録機能
・ユーザーの健康状態を定期的にアップデート・主治医への通知
・各種アプリやスマートウォッチなどデバイスとの連携
・AIによるドクターの診断サポートや健康状態へのアドバイス
上記に加え、薬や検査プランを割引価格で購入できるようにもなっています。また、2020年6月にOmron Healthcare Indiaと提携し、高血圧患者向けにオンライン診断付き家庭用血圧計の販売を始めました。[viii] Omronの血圧計をPhableアプリと連動させることで血圧の変化を記録し、記録をもとにオンライン診断から処方薬の配送までワンストップで行うことができます。[ix] 今後、新型コロナによって「わざわざ処方箋のためだけに病院で診断を受ける必要がない」という風潮が高まっていくことでしょう。
(8)リライアンスグループ傘下のヘルスケアプラットフォーム「KareXpart」
サービス名:KareXpart(ケアエキスパート)
会社名 :KareXpart Technologies Private Limited
設立年 :2014年
拠点 :グルガオン
CEO :Nidhi Jain
公式HP :https://www.karexpert.com/
KareXpart Technologiesは2018年にリライアンスグループ傘下のJioプラットフォームに買収されたスタートアップです。デジタルヘルスケアサービス「KareXpart」は患者と医療機関をつなぐプラットフォームとして機能し、病院、介護施設、薬局、血液・臓器提供バンクなどにアプリ上からアクセスすることができます。病院の訪問予約や救急車の手配、医師の派遣などオフラインでの機能に加え、遠隔医療にも早い時期から注力しています。オンライン診断や処方薬の配送、検査用検体の回収なども行っており、医療に関するさまざまなニーズをすみずみまで網羅しているのが特徴です。
4.政府機関も遠隔医療を推奨、オンライン診断も保険適用へ
今回は新型コロナウイルスがもたらす逆境をビジネスチャンスとしてたくましく生かすスタートアップ8社をご紹介しました。2020年6月1日にモディ首相が遠隔医療を強化する旨を発表し[x]、またインド保険規制開発局(IRDAI : The Insurance Regulatory and Development Authority of India)は保険会社に遠隔医療への保険適用を促しています。[xi] コロナの軽症患者や隔離患者にはすでに遠隔医療によるオンライン診断が推奨されていることも踏まえると、遠隔医療を扱うスタートアップには追い風が吹いていると言えるでしょう。今後さらなる遠隔医療分野の発展が期待されます。
参照元データを見る
参照元データ
[i] https://www.covid19india.org/
[iii] https://www.downtoearth.org.in/dte-infographics/61322-not_enough_doctors.html
[vii] https://idf.org/our-network/regions-members/south-east-asia/members/94-india.html
[viii] https://www.phablecare.com/omron/#order_form
監修者からのコメント
「非対面」医療サービスのニーズの高まりと診断データ分析へのAI活用に対する世界からの期待
WHOの調査によると、インドにおける患者と医師の比率は1:1600(WHO推奨比率は1:1000)となっており、さらに医師の90%がインド全体人口の10%しか住んでいない10都市に集中しており、地方都市や農村部では患者と医師の比率は1:10000と大きなギャップが生まれています。一説にはインドでは60万人の医師と200万人の看護師が不足されているとさえ言われており、既存の病院システムのみで医療体制を整えていくことには限界があります。また、インドは公共交通機関が脆弱であり、また国土も広大なことから通院も一苦労となっています。このような環境下では遠隔医療による問題解決への期待は大きく、本記事にもあるようなスタートアップ各社が立ち上がり、大きく成長してきました。また、今回のコロナ禍でより一層「非対面」の医療サービスへのニーズは高まっており、インドでロックダウンが始まった3月下旬以降で遠隔医療サービスの利用者は3倍以上に伸びていると言われています。この流れはある程度は不可逆であり、今後もインドにおける遠隔医療サービスは様々な形で伸びていくと考えられますが、ここには日系企業や日系医療機関にとっても大きな協業機会があると想定されます。13億人という巨大な人口を抱えるインドの膨大な量の診断データがオンラインで集約されていくことになるため、それらのデータをAIを活用して解析し、より一層「効率的」かつ「効果的」に医療サービスを提供していくことが可能になっていくと考えられます。奇しくもインドは世界有数のデータサイエンティスト輩出国であり、AIの活用においても優位性があります。患者のケースデータはユニバーサルなものであり、その解析で得られた知見はグローバルに通用するものであると考えられるため、日本の医療機関や医療関連企業にとっては大きな協業や共同研究の機会がそこにあると想定されます。今後、日印間の医療ビジネス分野でのコラボレーションが多く生まれていくことが期待されます。
監修者:村上 矢
野村證券グループの東京及びNY拠点にて一貫してIT/インターネット領域のスタートアップを担当。多くの企業をIPOへと導く。2014年にインドへと移り、現地にてスタートアップ立ち上げを経験。2016年にIncubate Fund Indiaを設立し、ジェネラルパートナー就任。イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校 政治学専攻、歴史学副専攻 卒
法律面からのアドバイス
コロナ禍を機に整備された遠隔医療のガイドラインとインドヘルスケアテック市場の可能性
このように急成長するインドの遠隔医療サービスを後押ししたものの一つとして、ガイドラインの整備が挙げられます。ロックダウン初日である2020年3月25日に、インド政府は、遠隔医療実践ガイドライン(Telemedicine Practice Guidelines)を公開しました。このガイドラインは、インド医療評議会の倫理規程の一部として導入されたものです。これまでインドには明確なガイドラインがなかったため、遠隔医療サービスそのものに法的なリスクがありましたが、現在ではこのガイドラインにおいて、遠隔医療サービスも適法であることが宣言され、満たすべき基準が明確に示されました。
日本においても、コロナ禍を受けて限定的に遠隔医療の実施が試みられていますが、インドのガイドラインは内容的に日本よりも先進的と評価することが可能と思われます。このガイドラインには、本稿でとりあげられているスタートアップのような遠隔医療を可能にするテクノロジー・プラットフォームのためのガイドラインも含まれています。人工知能/機械学習に基づくテクノロジー・プラットフォーム自体が患者を診断したり、患者に対して医薬品を処方したりすることは禁じられており、医師のみが患者と直接コミュニケーションを取り、診断および医薬品の処方をすることができると規定されています。しかしながら、人工知能、IoT、最新のデータサイエンスに基づく決定支援システムなどのような新技術は、患者の評価、診断、管理において医師を支援することができるとも規定されています。
以上より、最終的な診療や処方箋は医師が行わなければなりませんが、データを用いて医師を支援するシステムの開発こそが、将来的にこの分野の主戦場となっていくものと考えられます。そのようなシステムを開発する企業の観点からすると、患者の医療履歴のような機微性の高い(センシティブな)個人情報を何らかの手段で非個人情報とし、データ解析により医師を支援するシステムを開発していく上で、どのようにデータを扱うのかが重要になります。その意味では、医療情報を含む個人データの取扱いに関する規制が今後どうなっていくのか、今後注視すべき点だと考えられます。AsiaWise Groupでは、今後もインドのテクノロジー・データ関連規制の最新動向を情報提供して参ります。
アドバイザー:田中陽介
外資系メーカー知的財産部、特許事務所を経て、2019年AsiaWise Groupに加入。2010年より東南アジア、南アジアを拠点都市、医療機器、情報通信技術分野の特許調査や権利化をする一方で、新興国におけるテクノロジーの社会実装、デジタルエコノミーの動向を調査。京都大学工学修士(電子工学)シンガポール国立大(知的財産コース修了)